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★登山の想い出★
☆僕の登山の記憶☆
僕が登山に行くようになったきっかけは、中高生の頃に、ボーイスカウトの活動も自初的活動が
出来るようになり計画書を作成し団に提出して数人の仲間とよく登山に出かけた。
もっぱらこの当時の登山といえば、鈴鹿登山や、愛知の三河方面の登山だった。
春休み、夏休み、冬休みは、いつも友人とどこかの山で過ごすのが、中高6年間の僕でした。

当時の装備は、アルミ背負子にキスリングと木の箱をくくりつけ、それは恐ろしいほど重たいボーイスカウト用
テントを持ち、みんなで食料を分け合い背負って行きました。
いくら低山でも、1週間〜10日の装備は一人30kg前後にもなり、当時国鉄(JR)の駅で重量を測り、みんなで仲良く
均等に苦しむように分け合っていました。
当時(1973年頃)の登山の必需品を紹介
☆みんなの装備
1)テント : 綿生地の恐ろしく重たい奴。支柱はアルミですが、峰といってフライシートをかけるパイプは、鉄製でしたとにかく頑丈で、当時は団がテント屋さんに発注して作ったのでした。
6人寝れます、防水スプレーが欠かせません。
ダンロップ製ドームの登山用テントの価格が15万ぐらいだったと思います。とても無理でした。
2)コンロ : マナスル(国産)で、僕達はラジュースと呼んでいました、燃料は灯油で煤がお友達でした。メタいう固形燃料で余熱をして火を付けます。真ちゅう製のボディはとってもかっこ良かった。
現在でも生産販売され、時代の名品ではないでしょうか。当時かなり高価で皆でお金を出し合って買いました。
ガスコンロは火力が弱く、カートリッジが高いため適していませんでした。
<付録:コンロの想い出>
コールマンなどは高嶺の花で、日曜日に登山用品店で見て満足だけでした。何せ1ドル360円時代でしたからね。
高校の卒業記念に買ったのが、コールマンピーク 1厳冬地でも大丈夫と2月に宗谷岬に流氷を見に1人卒業旅行のお供にしました。
26年前は、「流氷を見に名古屋から来た」とバスの運転手に言ったら、「なぁ〜に考えてんだぁ〜」と言われ、流氷を見てバス停に戻ると運転手が折り返さずに「しんぺぇで、待ってたんだぁ〜、どぉせ客は、おめだけだ〜」とこんな良き時代で、現在のように観光客もいないし、国鉄周遊券でかなり安く行った。
3)コッヘル: アルミ製のでかい奴
4)ポリタン: 水の無いところが多い為、1名3Lずつ持ちました。誰の水を先に使うかで、もめました。
5)携帯ラジオ:夜みんなで天気図を記入し明日の天気を占う
☆個人装備
1)寝袋 : 綿のぼさぼさの奴 当時羽毛の寝袋は外国製で最高級品でした。
2)新聞紙 : 寒いときに寝袋に入れて寝る
3)着替え : 少々 (下着は、裏表着る計算で持参)
4)武器セット: アルミ食器2個とナイフとスプーン
5)ポンチョ : 絶対忘れてはならない
6)懐中電灯: 小型のもの

今思いつくのはこんなところかなぁ〜
そうそう食料がかなりの重量でした。
米、味噌、ラーメン、缶詰めシーチキン、レトルトなんてほとんど無い時代だし高価な為、
野菜も全て持ち込みカレーなど作りました。
食べ盛りの為、相当量もって行ったと思います。
忘れてはならないのは、ペミカン!
豚肉、玉ねぎ、にんじん、など塩、胡椒して炒めます。
次にラードをしこたま入れ冷やし何重ものビニールの袋に入れて山に持っていくのです。
スープなど何にでも入れます。
冬の登山の楽しみは、サントリーレッドウイスキー夜、寝る前に紅茶に数滴、
ポワ〜と体が温まり、安らかに眠れた。
それから登山ではないけれど、オーバーナイトといって豊橋から伊良湖岬までとか、岐阜から郡上八幡まで、一晩中歩く(50k程度)事もよくやった、元気だったなぁ
☆登山靴の想い出
当時は、登山靴も高級品で最初は運動靴で歩きました。1週間重い荷物を背負って歩くのはとてもきつく
雨の日は、ドロドロよくしんぼうしたなぁ〜
お小遣いをためてやっと手にしたのは、キャラバンシューズで、青いポリ生地の登山靴、低い山や、
ハイキング、軽装登山用です。
しかし、僕は靴が会わなかったのか、靴擦れには悩みました、もう足じゅう豆だらけ涙をこらえての山歩きで、
みんなに迷惑をかけれず人知れず豆に針を刺しつぶし、耐えた記憶があります。
次の登山、豆防止作戦は、表面がつるつるのガムテープ(布で無い奴)を靴の内側に貼り、分厚い毛糸の
靴下を履くとあら不思議!!豆が出来ません。みんなに、テープを貼らせて鼻高々でした。
付録:ガムテープは、割り箸などにぐるぐる巻いて山にもって行くと大変便利で、布地テープは強力な着火材になり雨の日など欠かせません。
革製の登山靴は、社会人初の給料で購入しました。
☆めざせアルプス登山!!
僕の先輩は、大学の登山部に入部しました。18才の頃先輩の下宿に遊びに行くと、ザイル、ピッケル、ヘルメットなど
物々しい道具に目を見張りました。
「お前も、山屋になれ!」の一言
当時僕は、就職していたので本格登山をするには、どこか山岳会に入会する方法が近道ですが、まずは自分でと
会社の休みを利用して単独で、中央アルプス全山縦走、北アルプス南部縦走、南アルプス、など狂った用に歩き回り
仕事を終えたらそのまま、車を走らせ夜中3時から歩き出し、乗鞍岳や、御岳、白山の日帰り登山をしていました。
この頃は、山を楽しむなんて感じではない。山を駆ける!
とにかく、あの山に行ったという事実だけ。自分の限界に挑戦しているような、先輩について行きたい気持ちだけだったようです。遠方は、那須山、九州は、九重まで行っているのにもったいないですねぇ〜
そろそろ冬山に挑戦と考え、鈴鹿の厳冬登山を繰り返し山岳会の門をたたこうとしたその年の春、僕の先輩の登山部で冬滑落事故で1名死亡。先輩がリーダーで遺体を背負って下山したと聞いた。
このショックなのか先輩は、病気になってしまい入院生活、日々やせていく先輩をみるたび山への思いが薄れていった。
先輩が、僕に「お前、元気いいな。ちくしょう!」「俺、人の不幸を祈るときがあるんだ。なさけねぇ!」といった。
僕には返す言葉がありません。
その3日後、彼は旅立ちました。 22歳でした。
僕は尊敬する彼の死を受け止められず、毎晩飲んだくれしばらく立ち直れなかった。
アルプスは遠き山にまたなってしまいました。
☆再び山へ!源流を目指せ!!
それからというもの、僕は彼との思い出の魚(鈴鹿の山行で水遊びのとき見かけた)、アマゴ釣りにはまりました。
そこで、岩魚に出会いまたエスカレートしていくのです。

夏の沢登りは、喉の渇きが無く、稜線まで上り詰めた時の達成感は病気再発といった感じですね。
気の会う友人Y氏といつも二人でコンビでした。
大日岳山系、中央アルプス、北アルプス南部、の渓流を歩きました。

冬は、仕事中サボる場所は、県立図書館で日本登山体系や各山岳会の資料集めに忙しく、今年の
長期遡行の計画などは、情報がたまってくると胸が張り裂けそうになるのです。
沢登りは、数多くの危険が伴います。
天候、水量、残雪量、去年の情報がまったく当てにならないぐらい、激しく変化している可能性があります。
命を守る道具は、欠かせません。
いいかげん男でも、遡行計画書を作成し、持ち物リストなど全て用意し家族や地元の入山箱に投函します。
この頃は、妻もいましたので計画書を渡すとものすごいことをするみたいで不安になると、いわれました。
僕達にしてみれば、お守りみたいなものです。
夏の高山の縦走は、多様な生き物が住めない景色がメインですが、水が近い沢登りは、山の生き物を
感じながら楽しめます。
まず岩魚、山菜、きのこ、野鳥、虫、動物などとても楽しく迎えてくれます。
もちろん優しい生き物ばかりでは在りません、ヒル、スズメバチ、マムシ、アブ、ブユ、ダニ、ヤブカ等
見た目より怖かったのは、熊こいつに会ったときは、友人を立てにホイッスルを吹いて追い払いました。
もちろんまったく岩魚のいない沢もありましたが、楽しみが一杯ありますので気にしない気にしない。
僕達は、できるだけ自然を傷つけないように、必要最低限の食料と行動を心がけないといけません。
<ルール>
ゴミは持ち帰りは当たり前。
僕達は余計な包装など全て家で、処分し防水チャック付のビニル袋に詰め替えて山に入る。
岩魚、その日にいただく分のみで、後は逃がすか止める。
小さな奴より大きな奴を逃がす勇気がいると思う。(次世代へ生産性が高いと思う。)
源流の厳しい自然に生き抜く、神に選ばれた魚だ!心して扱うべし!
本当は焚き火も良くない、野ぐそも良くないといわれそうですが、山で遊ぶものとしましは、
御許し願いたくおもいます。

下山後の着替えも用意しましょう。
電車などで他の乗客の顔が苦痛に満ちています。
自分の体臭は、想像以上に都会では目立つ事をお忘れなく。
排泄物は、入山前に全て排泄し入山後は、山の幸のみを食せば問題ないぞ、いわば都会の化学調味料や
添加物を持ち込まず、こんな山歩きも計画しようなんて酒の席でいった奴が、いたっけ。
それでは、山で焼酎も駄目だぞといえば、サルもサル酒を飲んでいる、焼酎のほうが不純物が少なくて良い!!
なんて飲んだ暮れ山屋のくだらない話でした。
面白そうだけどサバイバル登山だね!
当時集めた資料の山と2万5千の地図、コールマン・ピークT 
僕の一生の宝物です。

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